大阪地方裁判所堺支部 昭和53年(ヨ)236号 決定 1978年12月07日
申請人 藤家一弘
<ほか八名>
右申請人ら訴訟代理人弁護士 大江洋一
同 平山正和
同 赤沢博之
同 春田健治
同 松丸正
同 津川博昭
被申請人 株式会社ライフ
右代表者代表取締役 清水久良子
右訴訟代理人支配人 清水三夫
右訴訟代理人弁護士 平井勝也
主文
1 被申請人は、昭和五三年一二月三一日までの間、別紙物件目録記載の建物において、物品販売及び販売のための展示を開始してはならない。
2 申請費用は被申請人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請人ら
主文と同旨。
二 被申請人
1 本件申請を却下する。
2 申請費用は申請人らの負担とする。
第二当事者の主張の要旨
一 申請の理由
1 申請人らは、各肩書地において小売業を営む商人であり、各同所で営業する小売商人らで構成されている商人会・商店会の代表者である。申請人らは、「ライフ深井店建設反対連盟」(以下「反対連盟」という。)を結成しており、申請人藤家はその代表者でもある。
2 被申請人は、大規模小売業を営む株式会社であり、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)において、売場面積一四二一平方メートルの、食料品・衣料品・日用雑貨品を中心としたスーパーマーケット「ライフ深井店」(以下「本件店舗」という。)を設置する計画を有し、本件建物を建築して開業準備を行っている。
3 堺市は、「小売商業活動の調整に関する指導要綱」(以下「指導要綱」という。)を設け、店舗面積三〇〇平方メートル以上の小売店舗等の新設等に関する行政指導を行っているが、被申請人は、昭和五三年一月九日、堺市長に対して、地元調整を誠意をもって行うことを確約し、同時に、右調整については「関係指導機関の御指示に従うとともに関係法規、要綱等による調停指導に対し一切の異議を申し立てません」との誓約をした。
4 被申請人は、右誓約にのっとり、申請人らで構成する前記反対連盟との接衝を続けてきたが、調整は調うに至らず、反対連盟の申立により、同年六月五日、指導要綱に従い堺市の仲介による調停の場が設けられた。
5 右調停には、申請人側からは反対連盟構成員らから交渉権を委任された申請人藤家ほかが、被申請人側からは同じく交渉権を委任されていた被申請人常務取締役清水博ほかが、また仲介した堺市側からは同市商業課々長明渡利家らが、各出席したが、双方の主張が対立したままであったため、堺市側から、指導要綱八条に基づく堺市小売活動調整審議会(以下「商調審」という。)による調整に委ねたい旨の提案がなされ、結局両者とも、開店問題については商調審の審議結果に従うとのことで合意をした。
6 商調審は右合意を受けて開催されたが、審議のうえ、昭和五三年七月八日、開店日は昭和五四年一月一日以降とすること等を内容とする調整案を決定し、昭和五三年七月一一日には、堺市長から双方に、同内容の仲裁案が提示された。
7 申請人ら及び被申請人双方は、前記5のとおり、開店問題については商調審の審議結果に従う旨合意している(以下これを「本件合意」という。)のであるから、申請人らは被申請人に対し、右合意に基づき、昭和五三年一二月三一日までの間、本件建物で営業を開始しないよう求める権利を有する。
8 ところが、被申請人は、前記5の調停後、前言を翻し、本件合意を無視して開店を強行する旨再三表明している。申請人らは、本件建物から七〇〇ないし八〇〇メートルの距離にある商店街ないし市場で小売業を営んでいるが、元来この地区では各店舗当りの世帯数が激減しているうえ、昭和五三年六月一日からは本件建物の隣にスーパーマーケット「主婦の店」が開店しているため、被申請人が開店を強行すると、二つのスーパーマーケットの競争による相乗効果によって大量に顧客を奪れることとなり、特にいわゆる年末商戦を控えた現在、営業に大きな打撃を受けるので、本案判決の確定を待たず早急に仮処分決定を得る必要がある。
なお、本件申請人九名は、前記1のとおりいずれも地元商人らでつくられている商人会・商店会の代表者であり、これらに加入している約二七〇の商人(これらの連絡組織が前記反対連盟である。)の利益を実質的に代理ないし代表しているものである。
9 よって申請人らは、申請の趣旨のとおりの裁判を求める。
二 申請の理由に対する認否
1 申請の理由1・2項は認める。ただし、被申請人の計画している売場面積は一三五〇平方メートルで、右は申請人らとの協議に基づいて縮少したものである。
2 同3項も認めるが、指導要綱の施行は昭和五二年一〇月一日であり、同日より前に届出をした本件店舗についてはもともと適用のないものである。
3 同4項も認めるが、調停は指導要綱に基づいて行なわれたものではない。
4 同5項については、申請人ら主張の合意の成立を否認する。
右調停の席上、当事者双方が、商調審にはかることについて同意したことは認めるが、それ以上に商調審の出した結果に従うとまでは合意していない。なお、被申請人が商調審にはかることに同意したのは、事前に堺市の担当者から、商調審の審議結果には法的拘束力はないのであるから、とにかく商調審にはかることにだけは同意するよう強く要請されていたからである。
5 同6項は認める。
6 同7項は争う。被申請人は堺市の強い要請により商調審の開催に同意しただけであるから、その審議結果に従う義務を負ってはいない。
7 同8項は、被申請人が商調審の審議の如何を問わず開店すると表明したこと、及び主婦の店が開店したことは認める。保全の必要性については争う。
三 被申請人の主張
1 被申請人は、昭和五一年に堺市に対し本件店舗の出店計画を届出し、以後反対連盟を結成した申請人ら地元小売商との商業調整をはかり、同五二年一〇月一三日にはいったん調整が成立した。しかるにその直後、本件店舗予定地のすぐ隣りに、スーパーマーケット「主婦の店」が建築工事を始めた。そこで、反対連盟の強い働きかけを受けた堺市は、被申請人に対し、本件建物の建築確認と引き換えに申請の趣旨3項の誓約書を提出させるなど、種々の形で、強引に不当かつ違法な行政指導を押しつけてきた。被申請人としては、事態の急変と、地元小売商の立場を考慮し、前記主婦の店をも含めた形での再調整を行うとの条件で、再度堺市の行政指導を受け、反対連盟との協議にも応ずるとの姿勢をとったものであるが、堺市は主婦の店の強硬方針に会うや、これに対する行政指導を断念し、以後は専ら前記誓約書をたてに被申請人に対する行政指導の強要に終始した。そして、本件調停への出席、商調審開催への同意も、被申請人としては堺市の強引な行政指導によりやむなくしたものである。被申請人は、調停に臨むにあたっては、六月一六日の開店は絶対に変更しないことを決定していたのであり、調停の席上申請人ら主張の如き合意をした覚えはない。
2 本件仮処分が認容されると、被申請人としては、一日につき金七二万円の損害を受け、同金六〇万円の得べかりし利益を失うことが予想される。これに対し、申請人らの予想される損害はこれよりはるかに少ないことが明らかであるから、本件仮処分は保全の必要性もない。
理由
一 申請の理由1ないし4項については、売場面積の点を除き当事者間に争いがなく、右争いない事実と、一件記録によれば、次のとおり一応認めることができる。
1 被申請人は、昭和四九年ころから、堺市深井地区に出店を計画し、昭和五一年九月には、本件建物の敷地土地も買収した。右出店計画に当り、被申請人は、同地区への他社スーパーマーケットの進出の有無についても調査し、当時すでに株式会社稔屋商事がスーパーマーケット「主婦の店」(以下「主婦の店」という。)の出店を計画し、土地の取得を終り、出店に伴う行政上の諸手続も完了していることは了知していたが、調査の結果、主婦の店については社内事情等から出店することはまずあり得ないものと判断し、同所への出店を決定したものである。
2 被申請人は、昭和五一年一一月、堺市に対し、当時同市の定めていた行政指導要領たる「堺市における商業施設の設置等に対する商業調整基準」(以下「旧基準」という。)にのっとった届出をし、地元との商業調整にあたることになった。一方申請人らを含む地元小売商人らは、同五二年四月ころ、連絡組織として反対連盟を結成し、以後は反対連盟の名称で交渉に当ることとなった。なお、本件のいわゆる地元(本件建物から半径およそ七〇〇ないし八〇〇メートルの範囲を指す。以下同じ。)には、本件各申請人肩書地に表示した九個の市場ないし商店街があり、その各商人会等の加入者約二四〇名が結成した連絡組織が反対連盟である。
3 被申請人と前記反対連盟は再三交渉を重ね、昭和五二年一〇月中ころには、「被申請人は本件建物の建築着工を昭和五三年一月一日以降とする。完成後の開店日については被申請人の判断に委ねる。休業日等細部については昭和五二年一一月一七日に協議する。」との協定が成立した。なおこの交渉過程においては、前記主婦の店は出店計画はあるものの、現実には出店してこない見通しであることが前提とされていた。
4 ところが、前記協定成立直後の昭和五二年一〇月二一日、本件建物建設予定地のすぐ隣に、主婦の店が本件建物とほぼ同規模の店舗建設を始めた。右主婦の店の工事着工は、反対連盟及び被申請人双方にとって予想外の事であったため、両者は善後策を検討したが、反対連盟は、急遽同一の構成で「稔屋主婦の店建設反対連盟」を結成するとともに、堺市に対して、被申請人及び主婦の店の両者に対し新ためて行政指導されたい旨強力に陳情した。
5 堺市は、かねて前記旧基準により商業活動調整の行政指導をしていたが、昭和五二年一〇月には新たに前記要綱を定め、以後はこれに準拠して行政指導を行うこととしていた。そこで、堺市は、前記陳情を受け、スーパーマーケット両者に対する行政指導にのり出したが、これに対し、被申請人はこれを尊重し、再度地元との協議を行っていく方針をとったが、主婦の店の方は、既に昭和五〇年二月の段階で建築確認までの諸手続を済ませているとして、これに応じようとはしなかった。
6 被申請人としては、地元及び堺市当局の意向を尊重したい考えではあったが、主婦の店のみが先行して計画どおり開店することには耐えられないとして、堺市に対してはあくまで主婦の店と一括した行政指導をしてもらいたい旨申し入れ、両店共計画売場面積を半減するとの案等を示し、再三堺市当局とも相談を重ねた。
7 右経緯のうち、昭和五三年を迎え、被申請人は、地元との調整交渉は今後も継続していくことを条件に、とりあえず建築確認をおろしてもらいたい旨要望し、同月九日、堺市の要求に応じて申請の理由3項のとおり誓約書を提出し、建築確認を得て、本件建物の建築に着工した。なお、指導要綱第八条によれば、この要綱による行政指導については「都市計画法に基づく開発許可及び建築基準法に基づく建築確認手続きとの整合性を保持して処置を行う。」とされており、事の当否は別として、堺市としては、右両手続を指導要綱による行政指導の実効性の担保手段とする意向であった。
8 反対連盟は主婦の店とも交渉を重ねたが、主婦の店側では、すでに昭和四八年の時点で地元市場連合会からの同意書も取り付けてある(もっとも右当時行なわれた地元調整なるものは、いわゆる挨拶程度のものであり、また右同意書の内容も明らかではない。)こと、前記のとおり建築確認等の諸手続も完了していること等を理由に、抜本的再調整には応じず、結局反対連盟も主婦の店との再調整については営業時間等で若干の修正を得たのみで引きさがらざるを得ず、昭和五三年五月一〇日ころ、主婦の店は同年六月一日に開店することに決した。
9 一方その間、被申請人は反対連盟と交渉を継続してきたが、右主婦の店の開店表明を受け、被申請人も、営業時間等については主婦の店に準じて譲歩することを条件に、六月一日同時開店することを表明するに至った。これに対し、反対連盟は、前記7の堺市長あて誓約書をたてに、被申請人に一年半の開店延期を求め、開店表明の撤回と交渉を要求し、また堺市も、右誓約書に従い地元との調整をつけてから開店するよう、被申請人に対して警告書を発送する等して強く働きかけた。
10 被申請人としては、右堺市の働きかけに対しては、主婦の店に対する行政指導の失敗の責任を、地元との関係で被申請人に一方的に押しつけるものであると強く反発したが、折から堺市内に本件店舗の他なお数店の出店計画を有していた関係上、堺市行政当局との軋轢は回避したいと考え、また六月一日の開店を強行すると、反対連盟が実力行使に出ることも懸念されたことから、同年五月二八日、社内協議の末、とりあえず開店日を六月一〇日に延期すると決定し、これを表明した。
11 右被申請人と反対連盟との交渉経緯をみた堺市は、六月一日ころ、前記要綱に基づく調停の場を同月五日に設けようと、反対連盟及び被申請人に提案した。右提案に際し、堺市は、双方に、右調停の場で結論が出ない場合には商調審にはかって結論を出すようにしたい旨の見解を表明していた。なお、この際、堺市としては、商調審にはかるについては、予め双方から商調審の審議結果には従う旨の意思表示をとりつける考えであった(堺市としては、かかる運用を指導要綱に基づく行政指導の一般的取扱いとする考えであった。)が、この考えを予め双方に伝え、同意をとることはしなかった。
12 前記提案を受け、被申請人は再度社内協議をもったが、そこで、「調停には出席するが、独自の判断による早期開店は譲歩できない。調停不調による商調審開催には同意する。しかし、その審議結果の如何にかかわらず、開店はする。右開店日時は、商調審開催前では名分が立たないので、六月一六日とする。」と決定した。
13 かくして六月五日、調停がもたれ、申請の理由5項のとおり関係者が列席した。会議は三時間余にわたって続けられたが、中盤すぎまでの間は、従前の経過についての双方の主張が述べられたほかは、被申請人は六月一六日の開店を譲らず、一方反対連盟は一年半の開店延期を迫って、両者に歩み寄りはみられず、結局堺市担当職員により商調審に審議依頼をするとの提案がなされた。右提案に際しては、「双方、特に被申請人は、審議会にはかる以上は、その結論に従ってもらわなければならない。」旨申し添えられた。右提案に対し、双方、特に反対連盟側から商調審の開催日程、審議形態等について質疑がなされ、堺市側からは、早急に開催すること、双方ともその主張を審議会で述べられること、本件については申請の理由3項の誓約書も提出されており、商調審の勧告は一回ですむと考えていること等を説明した。これに対し、反対連盟は、開催日程、審議形態について注文を出し、時間をかけての慎重審議を要請したが、結局は堺市の提案を了承した。一方被申請人側は、積極的な発言をせず、右応答を聞いていたが、最後の段階で、反対連盟側からの確認に対して、当事者間で話がつかない以上やむを得ない旨発言した。そして、右発言後まもなく調停の会議は閉会されている。なお右調停の席上、被申請人側は、前記12の社内決定を公表してはいないし、また少くとも商調審にはかる旨の提案がなされた後は、右12の社内決定の趣旨を主張してもいない。
二 右認定した事実によれば、六月五日の調停の席上、反対連盟と被申請人との間で、「開店時期については商調審に判断を求め、その審議結果に基づいて解決する。」との合意が成立したと一応認めることができる。もっとも、右合意については、双方で内容を確認した文書も作成されておらず(堺市の作成した議事録は存在し、右によれば、「結論」として「審議会の結論には両者従う。ライフは審議会の結論をまって開店する。」とされているが、これは双方に示し確認をとったものではない。)、その趣旨及び拘束力については、必ずしも明確であるとはいい難い。しかし、前記のとおり本件合意の成立については、当事者双方の話し合いによる調整が不能となり、堺市が仲に入って調停を持った席上なされたものであること、被申請人もこの段階では少くとも表面上は調整の成立を希望する態度をとっていたこと、商調審は専門家による第三者機関で、中立的な判断を期待し得ると考えられ、かつ当事者双方も審議会で意見を述べる機会も与えられるものであること、調停は右商調審開催を決めて閉会されていること等の事情を認めることができるので、右事実に照らせば、右合意の趣旨は、単に商調審の判断を参考に供するというにとどまるものではなく、少くともこれを尊重し、特段の事情のない限りはこれに従うというにあるものと解すべきであり、また、右合意の拘束力についても、単なる道義上の拘束力を有するにすぎないと解するのは相当ではなく、当事者を法的に拘束するものと認めるのが相当である。
なお、被申請人は、堺市から行政指導の名のもとに違法かつ不当な押しつけを受けたと主張するけれども、仮に堺市の行政指導にいきすぎと評される点があったとしても、その一事のみをもって右認定を左右することはできない。
三 一件記録によれば、商調審は昭和五三年六月二一日、同月三〇日、翌七月八日の三回開かれ、第一回には被申請人側・反対連盟側のそれぞれが、各別に事情を陳述し、主張を述べた(もっとも被申請人側は、商調審の結論には拘束されないとの見解から、七月一日には開店するとの前提で意見を述べた。)。そして、右商調審が、昭和五三年七月八日、申請人ら主張の調整案を決定したことは、当事者間に争いがない。
四 以上述べたところによれば、被申請人は、申請人ら(申請人らが、反対連盟の構成員で、その代表者的立場にある者らであることは、当事者間に争いがない。)に対し、前記商調審の決定内容を尊重し、特段の事情なき限りこれに従うべき義務を負っているといわなければならない。そして、本件においては、商調審が特に不合理な決定をしたとか、決定後事情が変った等の特段の事情を認めることはできない。
五 一件記録によれば、本件店舗の開店遅延により、被申請人が大きな損害を受けること、右損害額は、本件店舗開店により被るであろう申請人らの損害額に比し相当高額となることは推認に難くない。しかしながら、被申請人は全国各地に売場面積計三万三〇〇〇平方メートルのスーパーマーケットを有する株式会社であるのに対し、申請人らはいずれも本件地区の市場等で個人で小売商を営んでいる小売商人であると認められるので、これを考慮すれば、被申請人の被る損害が申請人らの被る損害を大きく上まわるとはいえない。そうであれば、申請人らの本件被保全権利が、時の経過とともにその意義の大半を失う(損害賠償請求権に転化することはあり得ても、その実効性は甚だ疑問とせざるを得ない。)ものであることに鑑み、本件仮処分申請は保全の必要性をも疏明されたというべきである。
以上の次第で、当裁判所は本件申請を理由あるものと認め、申請人らに保証として連帯して金二〇〇万円を立てさせたうえ、主文のとおり決定する。
(裁判官 小島正夫)
<以下省略>